こんにちは、けうzenです。
みなさんは、「生きる意味がわからなくなった」と感じた瞬間はないでしょうか。
「生きる意味がわからなくなった」と感じるとき、それはただの気分の落ち込みではなく、自分という存在そのものが揺らいでいるような感覚に包まれます。
何をしても満たされない、日々の生活がただ苦痛とともに流れていくだけ。
何のために生きているのか、全くわからなくなる瞬間があります。
私自身も、そんな感情に何度も苛まれてきました。
でも——もしその悩みが、意外と身近な視点の転換で変えられるとしたら、どうでしょうか?
ということで今回は、「生きる意味がわからなくなった」と感じたときにどう向き合ってきたか、個人的な対応方法と考え方をお話ししていきます。
少しずつでも気持ちが軽くなり、今日という一日を生きる感覚を取り戻せるようなヒントとなれば幸いです。
読み終えた頃には、自分なりの意味をもう一度見つけ直せるシンプルな考え方が1つ習得できます。
それでは、いってみましょう!
生きる意味がわからなくなるタイミング
まず、どんなときに生きる意味がわからなくなるかというと、個人的には以下のようなタイミングが思い当たりました。
上記はよく遭遇する代表的なタイミングで、もちろん他にも色んなタイミングがあります。
思い当たる原因が単発的なときもあれば、複合的なときもあります。
そして、察しの良い方はお気づきかもしれませんが、このタイミングが複数あるということは、一度このネガティブな感情を脱してもまた繰り返すことがよくあるということです。生きる意味を見失うことがよくあるということです。
個人的な特性なのかもしれませんが、生きる意味がわからなくなる現象は1回乗り越えたら終わりではなく、何度も向き合うことになると考えておいた方がいいと、私は思います。
そして、長い間付き合っていく感覚だからこそ、その感情への対応方法持っておいた方が良い、少しでもマシになる「考え方」を個々に持っていた方が良いとも思っています。
共通する根本原因は?
では、生きる意味がわからなくなる原因は何か?
それは、生きる意味がわからなくなるタイミングで不足しているものを考えれば浮かび上がってきます。
上記で挙げた、生きる意味がわからなくなるタイミングに不足しているもの、それは『意義・満足感・楽しさ』この3つです。
これらが不足したときが、生きる意味がわからなくなるタイミングに深く関わっていると個人的に思っています。
これら3つは、ちょうど「タンパク質・脂肪・炭水化物」が身体の三大栄養素と言われるように『幸福の三大栄養素』と言われているようです。
下記の動画が興味深かったので共有しておきます。
生きる意味がわからなくなるタイミングには、もちろん他にも様々なタイミングがあり得ます。
それぞれのタイミングに不足しているものは『幸福の三大栄養素』ですが、さらにその根本で全てに共通する原因が1つ考えられます。
それは『『基本的欲求が満たされていないこと』』。
基本的欲求とは、
- 睡眠
- 食事
- 衛生
この3つのことです。
基本的欲求が満たされていない状態は、楽しさや満足感以前の問題です。
三徹でその間何も食べてない、風呂にも入ってない。
そんな状態では、やってることの意義なんて関係ないでしょう。
当たり前のことだし、普段の自分なら多くの人が理解していることです。
しかし、生きる意味がわからなくなっている時は、意外とこのことを見落としていたりします。
まずここから始めましょう。
様々ある悩みの種に頭を悩ませるのは、この基本的欲求を満たしてからです。
基本的欲求が満たされてない状態だと、ネガティブが加速します。悪い方向に考えやすくなります。
チェックリストはあくまで目安ですが、自分の身体を健やかに維持できるラインを日々観察して、満たしてあげてください。
生きる意味の捉え方
さて、では生きる意味とはどうすれば見えてくるものなのでしょうか。
哲学的な話になってきましたが、思想的な話は別に預けて、実用的な話をしたいと思います。
とりあえず目先の生きる意味をこしらえる個人的提案です。
私は、生きる意味がわからなくなってしまう要因の一つに「規模」があると思います。
私たちは、規模が大きすぎるものを一度に捉えようとしすぎている気がします。
「人生とは」「幸せとは」「人間とは」みたいな。
言葉では一言で表せても、その中には途方もないトピックがありますよね。
「人生」と一括りに表現しても、その中には考えることが山ほどあります。
全てを一度に見ることはできないんです。
私たちの目は、視線を向けてピントを合わしたものしか見えない。
視界に入っていてもピントが合っていないものはボヤけて見えません。
これと同じで、規模の大きなもの全てに、一斉に焦点を当てることはできないんです。
「生きる意味」と大きく捉えてしまうと見えなくなる。となると、どうすればいいのか。
私の提案は1つです。
それは、『ピントを合わせる規模を小さくする』
これです。
具体的には、もっと身近に、1日単位で意味を見出すのでもいいのではないか、という提案です。
今日1日の中に生きる意味を見出す。
例えば、
- 1日1回、他者の役に立つ
- 1日2回、人や物・出来事に感謝する
- 1日3つ、何かをアウトプットする
ちなみに私個人としては、夜寝床に就くときに、(今日もいい1日だったな〜)と思って眠りにつくために生きています。
これが私の生きる意味の一つです。
生きる意味を外から与えられる人なんて、実はほとんどいません。
いや、仮に外から与えられたとしても、それを生きる意味として選ぶのは当人です。
つまり、自分がどんな意味づけをするか、今日にどんな意味を与えるか。
この視点が生きる意味を捉えやすくなるスタンスだと、私は思っています。
ちなみにこの「生きる意味」みたいな、人間の根源的な悩みについては、古代から哲学者たちがいろいろ考えてきたことです。
その哲学者たちが出した答えが、あなたの悩みに共鳴するかもしれません。
以下の書籍が面白かったので、紹介しておきます。
注目する規模を小さくして(この意味付けで生きてみよう)というものを見つけてみてください。
今はまだ見つかっていないなら、その意味付けを見つけるために生きる。これを生きる意味にしてもいいです。
まとめ
さて、最後に今回ご紹介した「生きる意味がわからなくなったときの個人的対応方法」をまとめておきます。
- 1. 基本的欲求(睡眠・食事・衛生)を十分に満たす
- 2. 生きる意味がわからなくなった原因を文字にする
- 3. 生きる意味を捉えるピントを小さくする
- 4. 今日1日単位の中に生きる意味を1つこしらえる
生きる意味がわからなくなるタイミングは、いつでも、誰にでも訪れます。
そして、生きる意味がわからなくなる現象は1度解消したら終わりではなく、何度も向き合うことになるかもしれません。
だからこそ、その場面に出会したときに何度も立ち返れるシンプルな対応方法を持っておくと安心でしょう。
本記事のいち提案が、生きる意味に悩んでいる方の一助となれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。